Balearic(バレアリック)、Ibiza(イビザ/イビサ) Part 6 BBCとイビザ

公開日:  最終更新日:2023/09/26


 

BBC Radio 1 in IBIZA

早期の段階からイビザに着目してきた英国BBC Radio 1 は、1995年から毎年イビザでのパーティイベントを開催、(2017年の時点で)23周年目を迎えます。

「Radio 1 in Ibiza」と名付けられたこのイベントは1995年にRadio1 のDJでありレコードレーベル「ffrr」の設立者でもあるPete Tong(ピート・トン)がイビザに進出するよう上司を説き伏せた事に始まります。

このBBCによる熱心な広報活動も、世界中でイビザのクラブカルチャーの人気を高めた大きな要因となっています。

IBIZA 2017

Ibiza 2017(の出演者は以下のとおりで、Radio 1の主要DJクルーと、ヒットメーカーとして知られる人気DJ陣が揃っています。

Radio 1 in Ibiza 2017

Annie Mac / B Traits / Pete Tong / Danny Howard / DJ Target / MistaJam / Monki / Toddla T / Danny Howard / Benji B

Eric Prydz / Kolsch / Maya Jane Coles / Mele / Tiga / Waze & Odyssey / Claptone / Disciples / Duke Dumont + Gorgon City / Friend Within & Kideko / Icarus / Riton / TCTS / Black Coffee / Jessie Ware / Jorja Smith

笑ってしまうほど豪華なイベントですが、なぜ英国の国営放BBC送がここまで出来るのか、逆に同規模の資金を得ている日本のNHKがなぜ何も出来ないのかを考えると頭の痛い話です。公営企業は芸能エンタメから切り離した音楽文化を育めるだけのパワーを持っているため、まずは英国のようにポリシーを持った選曲家集団を組織してオンエアの指揮を執らせるところから始める必要があるのかもしれません。

 

主な会場

Cafe Mambo(カフェ・マンボ)


オープン・カフェ式のBARですが、ナイトクラブのオープンを待つ人達のプレパーティーの場として、店の前が野外ディスコ化することで有名なスポットです。Radio 1もプレイベントをここで開催します。カフェオーナーである「Mambo Brothers」はDJ/音楽プロデューサーとしても有名。

Radio 1 in IBIZA 2015 Duke Dumont(デューク・デュモン)によるイビザ・アンセムのメドレー・ミックス。この時のデュモンの選曲は素晴らしかったため、YouTube上でもDJセット動画としては異例の視聴回数を稼ぎ、2016年以降のBBCイビザセレクションにもフィードバックされる事になりました。(当コラムのPart 8までのおさらいで全ての選曲が理解できます)

しかし90年代前半、四半世紀前の曲で若者が盛り上がれるのは何故か? 国営放送が毎日のようにクラブミュージックを提供する英国と、人権侵害レベルの行動制限で時代錯誤的な「歌謡カラオケ」の遊びだけを週末に許可し、数十年にわたって放置したせいでナイトカルチャーを根絶してしまった日本との違いは大きく、世代間での音楽知識の断絶がそれほど進んでいないことを示しています。

Duke Dumont from Radio 1 in Ibiza 2015:プレイリストを表示

カフェオーナー兼DJ、マンボ・ブラザーズによるイビザ・アンセム

Mambo Brothers – Momento [2016]イビザ

 

Café del Mar(カフェ・デル・マー/カフェ・デル・マール)

英語圏の発音からはカフェドマーに近い(Pete Tong)

カフェ・マンボに隣接する「チルアウトミュージックの聖地」と呼ばれるカフェです。イビザのクラブカルチャーとは別の側面を持ち、チルアウト/ラウンジミュージックを集めたコンピレーションCDのシリーズも有名。イベントによっては店の前が野外ディスコ化することもあります。

店名がタイトルとなったイビザ・アンセム Energy 52 – Cafe Del Mar

Energy 52 – Cafe Del Mar [1993] Ibiza Trance

 

Amnesia(アムネジア/アムネシア)

英語圏の発音からはアムネイジア(Pete Tong)

DJ Alfredo(アルフレド)の在籍時にイビザ/バレアリック・ブームの出発点となった、18世紀末の白壁の家を使用したナイトクラブ。90年代の初めに大箱として改装。アムネシアとは記憶喪失の意味。アンダーワールド、パブリック・エナミー、タイニー・テンパー、スヌープ・ドッグ、ピットブルといった国際的なトップアーティストがライブを開いたことでも知られ、ナオミ・キャンベル、パフ・ダディ、ドルチェ&ガッバーナ、ボノ(U2)、ボーイ・ジョージ、エル・マクファーソン、ジョージ・マイケル、バレンティーノ・ロッシ、カルバン・クライン、パリス・ヒルトンなどの数知れぬセレブが訪れる有名店。収容人数は5000人。

90年代後半にはフロアを泡で埋め尽くすイベント、Foam Party(フォーム・パーティー)でも話題となりました。

 

Pacha(パシャ/パチャ)


英語圏の発音ではパシャ(Pete Tong)、スペイン語圏ではパチャ

看板ロゴのダサさも格別ですが、1973年に創業、イビザのクラブの中でもAmnesiaに次いで最古の部類に入ります。マリーナに近いイビザの街の東側に位置する3000人収容可能な会場は5つのルームに分かれ、最もディスコなテイストのファンキールーム、ラウンジとチルアウトのためのルーフテラス、レトロなポップのためのSweet Pacha、メインルームはR&BとHipHop。

 

DC10(ディーシー・テン)

島の南東にある滑走路の端にあった格納庫を改装したクラブ。1999年の創業以来メインストリームでないDJを積極的に起用、パーティ「Circoloco(シルコロコ)」を開催。Amnesia、Pacha、Privilege、Spaceといったスーパークラブに引けを取らない認知度を誇る。有名DJがノーギャラでオファーすることもあり、ヨーロッパにおいてミニマル・テクノの誕生にも貢献した音楽通向けのクラブ。収容人数は1500人。

 

Ku(クー)/Privilege(プリヴィレッジ)

70年代に「San Rafael」という名のレストランとして創業、79年にサッカークラブ「レアル・ソシエダ」の選手、ホセ・アントニオ・サンタマリアに売却され「Ku」と改名。80年代を通じてヨーロッパでも有数のゲイ・ナイトスポットとして知られ、有名なNYの「Studio 54」の野外バージョンとして比較の対象となった。95年までナイトクラブとして営業の後、97年に改装。「Privilege」と名前を変え、1万人の収容人数を誇るスーパークラブとしてギネスブックに掲載された。

 

Space(スペース)/ Hi(ハイ)

1986年創業、2016年にクローズ。閉店の理由はオーナーの Pepe Roselloが80歳と高齢になったため。解放されたテラスを持ち、飛行機の轟音が音を遮るのが恒例であった。 AmnesiaとPrivilegeは近隣へのクレーム対策として屋根で囲う必要があったため、スペースはこの経験が出来る数少ないクラブの1つであった。収容人数は5000人。


2016年にクローズしたSpaceをラスベガス系列のUshuaia Group(ウシュアイア・グループ)が購入、2017年にHi(ハイ)としてリニューアルオープン。BBC Radio 1 in IBIZA 2017では御披露目を兼ねてここをメイン会場として使用。

 

Ushuaïa(ウシュアイア)

2011年、イビザ出身のスペイン元外務大臣Abel Matutes(アベル・マトゥーテス)と実業家のYann Pissenemによって創業。ラスベガスのHakkasan Group(ハッカサン・グループ:Ushuaiaと共同ブランド化していたLight Groupを買収)と提携している新興勢力が経営する、ホテル併設型のナイトクラブ。このためラスベガス派のEDM系の有名DJの出演が多い。屋外にオープンなステージを持ち、Pete Tongがラスベガスに足繁く通うようになって以来、ここをメイン会場として使用することが多い。収容人数は5000人。

 

Part 7につづく

 

 

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